collection


当コレクションは現在まだ作成中であり、展示予定の作品は今後まだ追加される予定です。2015/12/31


頼 山陽(掛け軸:書)

頼山陽外函 頼山陽掛け軸全体 頼山陽掛け軸アップ

頼山陽との関係

 宮脇睡仙の父、宮脇政恒は通称小源太兵衛、字を月如と云い、静斎と号していました。
 柏木如亭に学び、多く和漢の典霜を蔵し、博覧験記百家の書を所蔵し、其の居を五松庵と云い、交友頗る多く頼山陽(らい・さんよう)や鼎金城(かなえ・きんじょう)等とも交友がありました。(大津市志より)


伊藤 博文(掛け軸:書)

伊藤博文外函 伊藤博文掛け軸全体 伊藤博文掛け軸アップ 西川太冶郎の証明文 西川太冶郎の証明文

伊藤博文との関係

 
 伊藤氏との関係は直接的なものではないようです。
 と言うのも、この掛け軸に添えられた添え書きでも判るように、宮脇剛三と一緒に一時期新聞社を経営し、のちに剛三の後を引き継いだ西川太冶郎氏(後の大津市長)が伊藤博文氏とは旧知であり、伊藤氏が上海に来たときに西川氏の求めに応じて書いた書がこの掛け軸です。
 その後彦次郎が西川氏から譲り受けた事が西川氏の手紙からも判ります。


西園寺 公望:陶庵(掛け軸:書)

西園寺公望掛け軸の木箱 西園寺公望掛け軸全体 西園寺公望掛け軸アップ 原田熊雄男箱書き

西園寺公望との関係

 西園寺公望氏と宮脇の関係は不明です。
 ただし先述の西川氏と伊藤氏との関係から考えると、もともと西川氏が所有していたものを彦次郎が伊藤氏の書と同時期に譲り受けたと考えられます。

 箱書きは西園寺氏の秘書の一人であった原田熊雄男氏のものです。

※尚この掛け軸に関しては、平成27年4月に西園寺氏を学祖とする『立命館大学』に寄付させていただきました。
 同資料センターが正式にオープンした暁には、恐らくそこで展示していただけるものだと思います。

池田 蕉園(掛け軸:画)

池田蕉園木箱 池田蕉園掛け軸全体 池田蕉園掛け軸アップ

池田蕉園との関係

 
 池田蕉園との関係と言うより、実際の関係は彼女の師匠である水野年方との関係が深かった様に思われます。

 また年方との関係もおそらく彦次郎直接ではなく、彼の妻の父である不二木佐七を通してのものでしょう。

 年方は十代の頃薩摩陶器画を学び、陶器画工場で職工長をしていたことがあるようですが、佐七との関係はおそらくこの時期からであったと思われます。

 またコレクションにもある鏑木清方もこの年方の弟子であることからして、師弟ともに宮脇と親しい関係にあったようです。

※彦次郎の義父にあたる不二木佐七は島津斉彬のいわゆる隠し子であり、生涯歴史の表に立つことはなかったのですが、彦次郎の父睡仙は、佐七の背景にある薩摩閥とのつながりを重視して彦次郎に佐七の長女を嫁として迎えた事が考えられます。


鏑木 清方a(掛け軸:画)

鏑木清方木箱 鏑木清方掛け軸全体 鏑木清方画像アップ


鏑木 清方b(掛け軸:画)

鏑木清方木箱 鏑木清方掛け軸全体 鏑木清方画像アップ

鏑木清方との関係

注:先日鎌倉の鏑木清方美術館で確認したところ、この(b)の作品については、清方本人の作品よりは、弟子の作品である可能性が高いと言う見解が出ました。
また(a)の作品については、恐らく清方の初期の作品では無いかとの事でした。清方の特徴であるブルーの色遣いが見られないところから私もそうでは無いかと思っていましたがやはり初期の作品である可能性が高い様です。

 鏑木清方と宮脇の関係も先の池田蕉園と同じであって、やはり師匠の水野年方との関係から弟子の作品を購入した可能性があります。

水野 年方(掛け軸:画)

水野年方との関係

 水野年方は10代で薩摩陶器画工場上村方の職工長となっていますが、これらの事が縁となり、島津斉彬の落胤である不二木佐七との間に何らかのつながりがあったと考えています。
 あるいは両者の年齢差から考えて、年方が世に出る事を佐七が援助していた事も考えられると共に、それらの関係から年方の弟子である池田蕉園や鏑木清方らを彦次郎がひいきにしていた事も十分考えられます。
 一方肝心の年方の作品はいつの間にか紛失したようで、木箱とそれを入れた紙の箱が残されているだけで、肝心の中身は残念ながら見つかっていません。
 平成27年8月9日、偶然にも長年不明となっていた水野年方の作品が押入れの中から発見されました。
水野年方掛軸外箱水野年方掛軸全体水野年方掛軸アップ

水野年方の掛軸発見から4か月、やっと展示する事が出来ました。

当コレクションにはまだ多数の未公開作品が保存されています。しかしその中には作者が特定されないものも多く、これはひとえに管理人の無学の故だと反省しきりです。

しかし、宮脇彦次郎の集めた作品の多くは、脇彦次郎が金に困った時(恐らく昭和の初期頃)に処分されているようなのですが、手元に残された作品の多くは、作者が直接宮脇家とつながりがあった物が多く、練習作と思われる物も含まれていて、その時点では売るに売れない理由があったようです。

 
 

渡辺 公観(掛け軸:画)

渡辺公観掛け軸木箱渡辺公観掛け軸全体渡辺公観掛け軸アップ

渡辺公観 との関係

 渡辺公観は大津の出身であり、彦次郎より十数歳年齢が下である事から、恐らく地元の作家と言う事でひいきにされていたのではないかと考えられます。
 他の作家の作品が習作と思われる物が多く、恐らく進呈されたのではないかと考えられる中、公観の作品については落款がちゃんと押されているところから、作品として購入したものだと考えられます。

上野 雪岳(掛け軸:画)

上野雪岳掛け軸全体上野雪岳掛け軸アップ

上野雪岳との関係

 上野雪岳は、文政2年(1819年)~明治27年(1894年)越中国(富山県)に生まれる。
 本名恭。字は克譲。雪岳、北陸道人、北陸岳人、菜成、雪崋山椎と号する。
出自は富山の室町時代から続く土豪上野家とされる。画家を志して京都に上がり山本梅逸より南画の師事を受ける。
 烏丸佛光寺南に住し画を業とし山水花鳥を善くした。
 現存作が少なく幻の画家とも言われるが非常に精密で気品高い密画で幕末の隠れた名手とされる、晩年は三重県津に隠住したと言われる。
 宮脇睡仙が上野雪岳を自宅に招き、彼に直接画を学ぶ為に師事した事が知られている。

小室 翠雲(掛け軸:画)

小室翠雲掛け軸全体小室翠雲掛け軸アップ

小室翠雲との関係

 不明

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